考えてみれば、この「江東区散歩」を書くのは久しぶりだ。コロナ禍もあって、江東区自体を訪れる頻度は減ったので、気分一新できたのかもしれない。
その理由のひとつはコロナ禍ではなく、実はコロナ禍のさなかに、勤務先のオフィスが、荒涼とした新砂のハズレの雑居ビルから、少しだけ新砂の中心部に戻ったこともあり、多少モチベーションが回復したのかもしれない。そうはいっても赤坂や渋谷からすれば僻遠の地であることには変わらない。東陽町の交差点ではランチタイムにOLが財布だけを持って信号待ちをする姿で和むこともない。いるのはしわくちゃのスーツで加齢臭一杯の中年オヤジばかりのようだ。我が身を憂いながら、酷暑の江東区を散歩するのであった。
さて、江東区の東陽町界隈といえば、いまの地名でいうところの東陽1丁目に、かつて「洲崎遊郭」があった。いわゆる「赤線」である。ここは、根津の遊郭の近くの本郷に東京大学ができるときに、遊郭の存在が風紀上問題とされたため、明治21年、東京の外れも外れ、木場の先の埋め立て地の洲崎に強制移転させられ、売春防止法が施行された昭和30年代までは吉原と並ぶ色街だった、という場所である。この事実は、おそらく行政は積極的に触れたくない歴史のようで、江東区や観光協会が発刊する地域街歩きガイドのようなものには、ほとんどその存在や事実が登場しない。その詳細を知ることができる書物として「洲崎遊郭物語」という大作があるので、ぜひご一読。この本は区立東陽図書館の禁帯出資料の中に見つけたもので、丁寧な取材と史実にもとづき遊郭の歴史を丁寧に記している。東陽町にゆかりができてしまった者にとっては必読の書と考え、愛蔵書になった。(貸しますよ)
今日は久々に、その洲崎に歩いてみる。
新砂1丁目から、かつて洲崎といった東陽1丁目は、歩いて1Kmくらい。かつての洲崎と、それ以降にできた新砂の埋め立て地の境には堤防の痕跡があり、そこを境に一段低い土地になっている(下の写真の右上)
かつての洲崎の面影を残す建物はほとんど無くで、戸建てやマンションが増えている。
かつての洲崎の歴史を語る公的な案内板などは一切なく、行政は過去の歴史を葬り去りたいらしい、ということが「洲崎遊郭物語」にも書かれている。
そんな中で、戦前から残る石碑が唯一あるとのことで行ってみた。その場所は都営団地の敷地内にある。(上の写真の下半分)
石碑は、昭和6年に建立されたもので、「洲崎遊郭開始以来先亡者 追善供養執行記念」と記され、「洲崎遊郭物語」によれば、洲崎遊郭が開業されて以来、廓で亡くなった無数の娼妓の霊を慰めるための法要を行った際に、信州善行寺の尼公が詠んだ歌の筆跡がそのまま刻まれている。
白菊の花にひまなくおく露は
なき人しのぶなみだなりけり
なんとも切ない、悲しい歌だが、この石碑のある場所は、かつての警視庁洲崎病院の跡地。性病をはじめ、世の中の様々な辛苦を受け止めてきたのであろう。
洲崎を南北に貫く大通りを歩く。今は「大門通り」かつての「仲の町通り」である。引手茶屋(今でいう繁華街の「無料案内所」のようなものか)が並んでいたあたりに、「東陽弁天商店会」のアーケードがある。ツバメが毎年飛んでくるらしく、マンションに癒しの張り紙があった。
今日はこの辺で昼飯でも食おうと、以前このあたりにあったはずのトンカツ屋を探すが、無い。どうも店が変わったらしいが、昔からそこにあった風情で「洲崎食堂」の看板が出ている。日替わり定食(アジフライと鶏)950円をおいしくいただく。
腹一杯になり、さて帰ろうかと大門通りを南下すると、かつての海岸線だった汐浜運河に突き当たる。バスも往来する大門通りは、橋を渡って塩浜地区に通じているが、運河の堤防に上る階段は、うら淋しい。
運河は護岸の工事をしているらしく工事の船がのんびりと浮かぶ。あちこちでボラの群れ。ここから運河沿いに歩く。この運河沿いの道は、最近、「フィットネスロード汐浜運河」と呼ぶようで、専用サイトや↓のようなオシャレなマップが用意されている。自治体と地域の組織や企業による官民連携プロジェクトらしい。
では、このマップの①から⑦まで歩いてみるか。
①は、洲崎食堂から大門通を南下した地点。運河沿いに歩いて地図上の②。そこは何かといえば「ハーブプランター」とある。案内図には「歩き疲れたら、ハーブの香りでリフレッシュ」と記されているが、プランターのハーブは悲しいかな全部枯れていた。だれも水をあげていないのではないか。
③はバランスウォーキング、④はハーブスタンド、⑤はステップウオーキング のポイントとなっているが、③⑤はいまいちどれが何なのか理解できず、④のハーブスタンドもハーブはほとんど枯れていた。ヤル気あるのか。
⑥⑦のポイントは汐浜運河の最東端。運河はここから南に折れて曙北運河と名を変える。ここにはちょっとしたオシャレな売店のようなものがあり、軽食を取ることができるが、スクランブルエッグが焼けそうな酷暑のウッドデッキではその気にならない。また「イベント桟橋」と称する浮桟橋があり、カヌーやSUPがエントリーできるようになっているが、鍵がかかっていて気軽に利用できるわけではない。ヤル気あるのか。
洲崎の歴史に感慨にふけったこの散歩も、やる気のない施策を見せつけられてすっかり気分が盛り下がってしまった。せっかくの取り組みなのだから、盛り上げてほしい。
今日の足跡(帰路のみ)