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6年前

6年前の2011年3月11日14時46分は、青山一丁目にいた。今日、仕事でそこを訪れて、6年前を思い出して写真を撮った。

 

あの日のその時、私は、青山ビルヂングの1階でエレベーターを待っていた。上階で15時から会議があったためである。地震かなと揺れに気づいた数秒後、尋常ではない揺れを感じて、これはやばいやばい!!、と言いながら屋外へ。本能的な身の危険を感じた。
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驚いた人がビルから出て来て不安そうな顔色。携帯にはNHKの速報メールで宮城県震度7という情報が来て、宮城県沖地震の再来かと考えていた。その後、大津波津波警報が発表されたことをメールで知る。電話はつながなず、こういうときに限って電池切れ直前でワンセグも見れないしカメラも起動できない。

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強い揺れは何度も来て、隣のビルの屋上の携帯基地局のアンテナがブルンブルンと振れていた。震源域が広大で福島県から茨城県に南下しているということはあとでわかった。高層マンションがゆっくりと揺れているのが見えた。ここは神宮外苑にも近いから、何かあったらそこに避難かな、と考えていた。

15時過ぎに家族からメールが届き一安心。自宅のある神奈川県逗子市は津波注意報だったし、震源宮城県沖以北だと思っていたからまあ大丈夫だろうと思っていたが、実際には茨城県沖など震源が近い地震も発生していたわけで、そのうち津波警報に切り替わったときは心配になった。


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15時30分近くなると、少し落ち着いて、会議はどうなったのだろうと、居合わせた他社の出席者と、会議室に行こうということになった。エレベーターは止まっているので、非常階段で上がろうとすると、壁にはひび割れ、剥げ落ちた壁… これはヤバイね止めましょうと引き返した。
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外に戻ると先に着いていたはずの同僚と合流。非常階段で降りてきたが、上階は自動販売機が倒れたり大変なことになっているらしい。さすがにそれぞれ会社業務が気になるから帰りましょう、となった。

 国道246号を歩いているうち、会社と電話がつながった。業務や社員に大きな支障ないらしく安心。赤坂見附を通り、首都高速の高架下を足早に抜けて、裏通りは怖いからと言って溜池を通って赤坂の本社に着いたのは16時過ぎだった。

 本社に着くと、停電もしておらず 、社内メールとインターネットも活きていて比較的落ち着いていたが、NHK総合テレビは想像を絶する映像が放送されていた。

 

その後歴史が変わっていった。